まだ人の心が残っているので、素晴らしい支援に会うと心が洗われます。
子供たちの変化や、いつもと違う反応を発見して大喜びする先生たちに、たくさん出会えています。
レポが途中になっていますが、中邑賢龍先生の講義を受けて「黙って観る」こと「丁寧に触れて反応を観ること」に取り組む先生たちが、長野県で増えることは間違いないでしょう。
そして、講義を受けていなくても、すでに心ある専門性サポートチーム(というのが長野県にはあるんですよ)の後方支援を受け、じっくり子供の反応を見ながら「一緒に授業を楽しむ」先生たちの姿を、巡回先でたくさん見るようになってきました。
ある先生が言った言葉が先週のハイライトでした。
授業を展開させることを優先していた時は、感覚遊びの時間は長く感じた。
でも、提示する素材を変えたり、刺激の方法を変えながら、
変化をみていく事の意味がわかったら、むしろ時間が足りない。
今週そのクラスを再度訪問しました。
写真では何が起きつつあるのか、何がどう変わったのか、わからないと思いますが、いずれこの学校の先生方がまとめて発信してくれることでしょう。
ずっと繰り返されている「手と手の触れ合い」
でも、一見同じ活動に見えて、昨日のそれと今日のそれの意味が全く変わることがあります。
先生たちの「触れ合い方」でそれは如実にわかります。
専門性とは、活動に意味を与える能力だ、と思います。