「講義資料」は何のためにあるのか

ちょっとした事があって、あらためて講演や講義で用意する「資料」とはなんなのか考えさせられました。

考えたからと言って、別に結論が変わったわけではなく、自分は「講義の内容に合わせた印刷用資料を参加者のために用意」するのは、本来必要のないことだと思っています(視覚障害や聴覚障害の方への情報保障の話は一旦別とします)。

講義は基本は「語り」が重要であって、そうでないと言うならば、少なくともその仕事は自分がやらなくても良いと思っています。

写真は、肖像権的にはちょっと問題あるかもしれませんが、お許しいただきたい。
2006年に信州大学で行われたAACセミナーでの日詰正文先生の講演風景です。
当時すでにプレゼンテーションソフトを使っての講演が主流であったと思いますが、日詰先生は黒板にほんの少し書いただけ。

その知見と実践の深さ、語りの面白さ、接してきた当事者の方がへの思い、そして平易で分かりやすい言葉使いで、資料なんて一切必要ありませんでした。

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