心から感動した授業_コミュニケーション機会としての朝の会

今日はAZ養護学校にお邪魔しました。
年度最初の訪問ということで、小中高の授業を順に観せていただきました。
同行した同じICT推進リーダーの柴田先生と
「昨年度より個々の子が当たり前にiPadを使っている姿が増えましたね〜」
などと話しつつ、楽しく見学させていただきました。
高等部の生徒さんが、校外学習の食事について調べながら、予算内で食べる物を考えたり、計算している姿は、正しい意味で卒後につながるな、などと思いながら。

しかし、衝撃は最後にやってきました。
以前にもブログで紹介したOh!田先生やS先生のいるクラスの朝の会を参観。
掛け値なしに、ここ数年で観た授業の中でも1、2をあらそうレベル。
少なくとも、自分が観たことがある重度重複のクラスの朝の会では最高の授業でした。
他の先生の授業に優劣をつける資格はありませんので、あくまで自分が感銘を受けた観点を述べると、
・情報の獲得に困難のある子、一人一人に合わせた「見せ方」「聞かせ方」の工夫にあふれている
・個々の子の今の力に合わせた表出手段を検討して工夫していることが一目でわかる
・会の中の活動一つ一つに、しっかり意味があり、基本的に全部の項目に個々の子にとっての役割がある
・進行の先生の声の大きさ、調子だけでなく、隣につく先生達の声がけも適切

 特に子供が何かやり終えた瞬間に共感的な声を即座にかける、というタイミングが絶妙。
といったことなどです。
敢えて言うなら、やっていた活動一つ一つは、どこの学校でもやっている「パーツ」です。
しかし、それをやるときに
・こちらが子供達に「伝えようとしていることが、伝わること」
・子供達が周囲に「伝えようとしてくれていることを、その時にしっかり受け止めること」

を何より大切にしているからこそ、授業は非凡な(そして理想的な)物になっているような気がしました。
これまでも自分は、他の場所での授業指導などで
「晴れ」や「くもり」という語彙が理解できているかわからない子、しかも、そもそもその「天気」という概念を教える機会を教師側が作ってこなかったのに、朝の会で「今日の天気」をやる意味はあるんですか?ましてや窓の外も見ていないのに!
という投げかけを「敢えて」してきました。
が、授業中にOh!田先生が見せたシンプルな解決方法には感激しました。
テクノロジーを使うってこう言うことだね!という新鮮な驚きと共に。
授業を観せてくださった児童生徒のみなさん、先生方ありがとうございました。
本当に大事なことを学ばせてもらいました。

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