6月5日に、元アップル社のソフトウェアエンジニアのビル・アトキンソン氏が亡くなられたというニュースが入りました。
現在のUIの基礎を作った彼の多くの「大発明」は、その影響の大きさとその浸透度ゆえに今では逆に目立たなくなっています。メニューバーとプルダウンメニュー、ツールボックス、そしてドラッグ操作(!)など、彼の天才性はコンピューターの自然な操作感の中に今も生きています。
そしてハイパーカード。
いったいどれだけの人がこのソフトウェアによって人生を変えられたことでしょう。かく言う自分、ドロップレット・プロジェクトの代表もその一人です。
音楽制作のために購入したMacintosh SE/30に「無料」でバンドルされていたオーサリング・ソフトウェア。
何をするためのものか決まっているわけではなく、アイディア次第で何でもできるというソフトウェア。
実は、なんでもできるという無制限の自由度は、やりたいことが明確でない人間には意味をもちません。
しかし、やりたいことがある人間には巨大な武器になります。
音楽と同じくらいのめり込んでいたAACの領域で活かせないか、と考えた時に、画像と音声を自由にあつかえるハイパーカードはまさに創造性のカタパルトそのものでした。
ハイパーカードがなければPICOTは生まれず、PICOTがなければドロップトークも生まれませんでした。
ドロップトークの末期のインタフェイスは、まるでハイパーカードの生まれ変わりの如く完全なる「カードメタファー」でした。
もしドロップトークがドロップレット・プロジェクトのプロデュース下で正常進化していたら、DropKitは「ドリルキャンバス」、DropToneは「ミュージックキャンバス」として内包されていたかもしれません。
いや、きっとそうなったでしょう。
ですからハイパーカードがなければ、DropTapは生まれませんでした。
ビル・アトキンソンがいなければ、全国で104万本インストールというとんでもない普及率を誇る日本一のAACアプリは生まれなかったのです。
ハイパーカードがなければ、DropKitもDropToneも生まれませんでした。
これらを彼の功績の中に連ねるのは不遜にすぎるでしょう。
しかし、もしあなたの目の前に、DropTapでコミュニケーションを楽しめるようになった子がいたら、それは遡ってビルのおかげです。
DropKitで「わかった!」と思える子がいたら、それもビルのおかげです。
まもなく世に出るDropToneで音楽を楽しむ子が増えたら、それもビルのおかげなのです。
全ての人の営みの背後には先人の力があるにせよ、その中で一際まぶしい光を放つ「ビル・アトキンソン」という星によって照らされた道に我々は立っています。
ありがとうビル。本当にありがとう。