「ICT×インクルーシブ教育セミナー」その2:AIの価値を問うな

最近洒落が通じない事も多いので、無粋ですが断っておくと。
タイトルの元ネタは「騎士の価値を問うな」。

授業は圧巻でした。
まず、何よりも「今、何をすればいいのか」が分かりやすい。
これは当然のことながら、AI活用以前のとても大事な前提です。
課題の道筋が見えているので、子どもが迷わない。
すぐに「自分の思考、試行」に没頭できるのは、実は何よりも重要なことです。
なぜなら人間は手を動かし、考えを巡らして始めて「やる気」が出るからです。
学習に取り組むモチベーションは、実は学習のスタートのさせ方次第で大きくも小さくもなるのです。

さらに重要なのは、先生が余計なことをほとんど喋らないことです。
説明は短く、指示は端的。
必要以上の言葉を足さない。
それによって子どもが考える時間と、手を動かす時間がきちんと確保されている。

教師が喋りすぎる授業では、子どもが「考える前に答えを察してしまう」ことが起きがちです。
そして「何が大事なのか」が言葉の洪水の中で見失われてしまう。
先生が余計なことは喋らないから、子どもは考え、まとめ、書き、また考える、という探究のループに没頭できる。

そこにAIが入ると、即時のフィードバックや試行錯誤の相手として、機能し始めるのだということが、今回の授業ではっきりわかりました。AIが答えを出すわけでもないし、当然先生の代わりになるわけでもない。
もともと課題が明確にされた授業の中で、高度な学習活動に没頭している児童それぞれの考えをブーストする役割を果たしている。
AIの「活用」として勘違いされがちな教師の役割の「代替」なんてことは最初から考えてもおらず、児童の思考の増幅装置として使われている。
「AIを使うと自分で考えることをしなくなる」という凡庸な決めつけがいかに浅いか、その証左のような授業でした。

講評の時間に自分が前提にさせてもらったのは、まず
「AIそのものの是非は問わないし、教育に導入するべきか否かレベルの議論はしない」
ことです。
優れた実践者は「AIを授業にどう使うか」などという問題意識では、すでに授業をやっていません。
しかしその程度の解像度で授業を語ろうとする(しかも授業見てない)輩がうようよしているのが、特別支援教育界隈です。そちらのフィールドから通常の学校の授業を見せてもらうのですから、この程度は立ち位置明確にしないと失礼だと思ったのです。
だからこそ「AIの価値を問うな」
AIの有効性云々の大騒ぎに足元を掬われない議論をせよ、です。

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