視覚支援は、支援の基本

昨日の続き。
「構造化」はともかく「視覚支援」「絵カード」「AAC」なんて繋がりで原稿依頼がきたら、断るわけにはいかないですよね。
どの項目も力を入れて書いたのですが、こと「視覚支援」については、
特別支援教育に限らず、そもそも支援の基本である、というメッセージを込めました。

最近だと、ABAの話なんかが出るとすぐに
「特定の手法を押し付けられる」
みたいに過剰反応をする人が結構いますね。
いや、そんな「特定の手段に偏りたくない」と言うほど、いろんな手段使えるんですか?あなた。
どの手段もいや、っていうのは手段がない、ってことですよ?
構造化や視覚支援なんかも、昔はよく「形にこだわりたくない」とか言われました。
いや、まず形整えたらいかがですか?あなたの教室、情報が多すぎますよ。
情報多すぎは、汚いの婉曲表現ですけどね。

結局のところこれは、何度も通ってきた道で、何度葬っても素人の呪術を得て蘇るゾンビ的指導観なのです。

先日のDropNewsのイベントで矢島先生も
「視覚支援って、自閉症の子のためのもの、みたいに思い込んでいる人がいるけど、知的の子にも当然有効」的な話をしていましたが、今回の原稿にも全く同じ事を書いていたので、今また確認せねばならないポイントなんだな、という思いを強くしました。

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