「本当の力」とは何か

「砂漠の水問題」の続き的な話。

視覚支援、構造化などに積極的なA先生と、
それらの導入に消極的なB先生がいたと仮定してくださいな。

1、教室内で通りすがりに友達に手を出してしまう子がいた
2、A先生は、パーティションを使って、余計な視覚的刺激が入らないようにしたり、人と一定の距離を取れるようにしたりと、物理的な環境調整をした
3、すると他害行為などがなくなり、落ち着いて自分の好きな活動に取り組めた

としましょう。するとその後

4、「落ち着いて勉強できるようになったから」ということで、B先生がパーティションを取り除いたらまた友達に手が出るようになった
5、せっかくできるようになったのに、なぜパーティションを取り除くのかと、A先生が言うと
6、B先生は「落ち着いて勉強できるようになったから、もういらないと思ったんですよ」と。そして続けて「やっぱり本当の力はついてなかったんですね」とやや皮肉気味に言った

さてさて、ここでの「本当の力」とは?

眼鏡使っての読書なんて本当に読んだとは言えない?とか
ご飯は薪で炊かなくては料理とは言えない?とか
いう例えは納得してもらいやすいのに、この「本当の力」という「観念」はなかなかに厄介。

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