今頃レビューですか?ってごめんなさい…。
川上康則先生の『教師の流儀』『教師の流儀2』は、文章自体はとても穏やかだ。
それこそ、声を大にして荒げるところも、誰かを断罪するところも一つもない。
自分なんか「教室の中の視覚支援」の読者レビューで
「これまでの自分の支援に向けられた批判に対しての恨みが出ているのでは」
なんて書かれてしまったくらい(大きなお世話だけどな…)文章に品がないので、さすが川上先生である。
人を惹きつける魅力的な文体だ。
だがもちろん、本の内容は一筋縄ではいかない。
幸運なことに川上先生とはこれまでに何度か直接お会いしている。
ご一緒しているだけで伝わってくる人間的魅力。
とても穏やかで、優しく、率直に言って素晴らしい人だ。
現場に立つ教師なら、一度は一緒に働いてみたいと思うはずだ。
ただ、そのぶん感じるのは(勝手にことを言って失礼ではあろうが)先生の中にある孤独だ。
子どもを誰よりも丁寧に見ようとし、教師という仕事に誰よりも誠実であろうとする人は、その分だけ現場の違和感にも敏感になる。
そしてその違和感を見過ごさない人は、まずその問題点を自分自身に向けて問い続けることになる。
教育現場を愛するからこそ、教育現場の現状について、書かねばならない。
この二冊の底を流れているのは、そういう姿勢なのだ。
文章そのものは穏やかなのに、その奥にある問いは正直かなり厳しい。
子どものためと言いながら、実は自分の都合を優先していないか。善意のつもりが、子どもを型にはめる力になっていないか。うまくいかない理由を、子どもの側にばかり求めていないか——そんな問いが、静かに、しかし逃げ場なく差し出される。
誠実な教員ほど、文体に反して、読んでいて責められている感じを受けるかもしれない。だが、もしそうならその人は、川上先生の言葉が響く人なのだ。
著者自身が一番厳しくその問いを自分に向けているのだから。
教師としての姿勢、それ自体を読者に差し出している1冊(いや、2冊)
優しいし、同時に厳しい。
だからページを捲るたびにハッとする。
川上先生は孤独だ、などと偉そうに書いたが、それは孤立ではない。
なぜなら、この本に惹かれた人が繋がって、やがてはこういう視線が当たり前のものになることを願って書いておられるのは自明のことだからだ。身を切ってハブになろうとしている人が、それでも現場を見捨てていないことを、我々は感謝するべきだろう。
手元に置くべきだ。


